地域の伝統や歴史が根強い!尾張地方南エリアの特徴【豊明市・大府市・東海市・知多市】

豊明市の特徴

豊明市は愛知県の中央付近に位置しており、名古屋市の東側に隣接しています。人口7万人前後で、土地面積は23.22平方キロメートルを有しています。
名古屋市の他には大府市や刈谷市、愛知郡東郷町と隣接している市です。
「豊明市」は「とよあけし」と読みます。

豊明市の地理的特徴には、台地と低地のコンビネーションが挙げられます。豊明市の最高地点は、北部にある標高約72メートルの二村山であり、そこから南に向かって徐々に傾斜しています。
隣接している刈谷市とは境川を隔てており、境川以外に市内を流れる皆瀬川や若王子川、井堰川などの河川は全て市内の池を水源として境川に合流します。

豊明市は鎌倉と京を結んでいた古代東海道の「両村駅」が設置されていたり、各地から鎌倉に通じる道である鎌倉街道の「沓掛宿」があったりと、旧東海道にとっても必要な位置にあったことが分かります。
そのため豊明市にはいまだに鎌倉街道の史跡が残されています。

特に豊明市の歴史的特徴の中で注目したいのは、織田信長が今川義元に勝利した「桶狭間の戦い」の舞台となる桶狭間古戦場を有する点です。
桶狭間の戦いは1560年に勃発し、駿河の戦国大名である今川率いる2万5000もの軍を、織田陣営はわずか10分の1ほどの軍制で破った日本史上でも重要な戦いです。

現在でも春になると、当時の戦国武将の霊を慰めるための「桶狭間古戦場まつり」が開かれています。
2日に渡って開催されるこのお祭りは、供養祭に加えて芸能の発表や歴史ガイド、フリーマーケットなど多様なイベントで盛り上がります。
また桶狭間の合戦を再現した劇や火縄銃発砲、棒の手演技など、歴史に関連した出し物もあるので楽しめます。

秋には、約400年前から代々受け継がれている伝統芸能で、五穀豊穣を願って行われる「大脇の梯子獅子」があります。
大脇の梯子獅子は高さ12メートルものやぐらの上で獅子舞をすることで、手に冷や汗を握るパフォーマンスを堪能することができます。

豊明市は1972年に当時の豊明町が市制を施行して市になりました。
市内を名古屋鉄道の名古屋本線が通り、名古屋市へのアクセスは40分ほどと通勤や通学にも適した位置にあります。
また車でも国道1号や23号、および伊勢湾岸自動車道が横断しているため、関東圏や関西圏へ行くのにも便がいいところです。
また豊明インターチェンジ付近には、日本でも有数の取扱数を誇る「愛知豊明花き地方卸売市場」があります。

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大府市の特徴

大府市は名古屋市の南部にあり、知多半島の北端に位置しています。人口は9万人前後で、土地面積は33.66平方キロメートルを有しています。
名古屋市や東海市、豊明市、刈谷市、 知多郡東浦町と隣接しています。
「大府市」は「おおぶし」と読みます。

大府市のほとんどの部分はなだらかな丘陵によってできており、これは約500万年前から約258万年前に当たる鮮新世の時代にできたと言われています。
大府市の東部には愛知県の中央部を流れる境川が、中央部には境川の支流である鞍流瀬川が流れています。市域には河川による堆積によってできた小規模な沖積平野もあります。

現在大府市は知多半島にありながら海に面していない位置にありますが、先史時代には遠浅の海が大府市付近まで広がっており、衣ヶ浦と呼ばれていました。
この頃は魚介類が豊富だったので先史時代の人々の生活の跡も残されており、大府市で最古の遺跡である旧石器時代の共栄遺跡があります。

飛鳥時代や奈良時代にかけては横根町で惣作遺跡が発見されており、そこでは製塩が行われていたことがわかる出土品が出ています。
平安時代には窯業生産が発達し、日本三大古窯「猿投山古窯址群」に含まれる大府市内の「羽根山古窯群」は、100以上もの古窯址群を残しています。

江戸時代になると、大府市付近にまで来ていた海は境川や逢妻川の堆積によって埋め立てられるようになりました。そこで大規模な干拓が行われ、新田開発が展開されました。

現在の大府市の市域を形成したのは1906年に知多郡大府村、吉田村、共和村、北崎村、横根村、長草村の一部および森岡村の一部が合併したことによるものです。
1915年には大府町として町制を施行し、1970年には大府市として市制を施行しました。

大府市の南部から、知多郡東浦町北部にかけては「ウェルネスバレー」が展開しています。ウェルネスバレーというのは、健康や医療、介護、福祉関連の機関や施設が集まっている地区のことを指し、全国でも有数の規模を誇ります。
また大府市は、2006年6月に自治体同士のつながりで市民の健康な生活を守る取り組みを行っているWHO健康都市連合日本支部に加入、同年7月には西太平洋地域支部にも加入し、健康づくり都市としての使命を強めています。

大府市にはJR東海の東海道本線や武豊線が通っています。また北部は名古屋市、南部に知多半島、東部は三河地方に接していることで、昔から交通の要にある地域としても重要な役割を果たしています。

大府市施工例(東新住建)

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東海市の特徴

東海市は名古屋市の南に隣接し、知多半島の付け根に位置している市です。人口は11万3000人ほど、土地面積は43.43平方キロメートルを有しています。

名古屋市の他には大府市や知多市、知多郡東浦町に隣接しています。
「東海市」は「とうかいし」と読みます。

東海市の西側には小高い丘陵地があり、標高59メートルほどの御雉子山がそびえています。さらに昔ながらの趣がある里山の風景が残っているのも西側です。
一部、西側は埋立地と干拓地が存在しており、そこは製鉄所や畑の用途で使われています。
一方東海市の東側には、標高20から60メートルほどの丘陵地が続いており、昔はみかん畑や森林など緑に溢れた地域でしたが、近年では森林開拓が進み主に住居地や畑などに利用されています。

東海市内には二級水系で大田川水系の大田川、奥山川、富田川、中川、渡内川、そして信濃川水系の信濃川や横須賀新川が流れています。
名古屋市の南という地理的距離と市の西側が伊勢湾に面しているという地理的特徴を生かして、名古屋港の一角を担っています。

東海市で最も古い遺跡である「高ノ御前遺跡」が発見され、この地で約6000年前の縄文時代前期には人が住んで生活していたことが分かっています。
古代には東海市の北部を含む一帯の地域に「あゆち潟」と呼ばれる干潟があり、のちの愛知県の語源でもあります。
東海市はこのあゆち潟や伊勢湾を統括できる位置にあったので、4世紀頃より勢力を持った豪族がこの地を治めていたそうです。

江戸時代には尾張藩の第2代目である徳川光友が東海市の地域を訪れて、この地の景色を賞したことから発展し、東海市は農漁村から商業の町へと変容を遂げました。
その後東海市では、酒やみそ、しょうゆなどの醸造業や、木綿などの織布業をはじめ、明治初期からはタマネギやトマトなどの西洋野菜栽培、昭和時代には愛知県で初となる球根や観葉植物の栽培が行われるなど、様々な特徴を残しています。

また近代に入ると愛知用水事業によって農業の効率が高まり、都市近郊農業地帯として確固たる地位を確立します。
フキ栽培は全国で生産量1位ですし、洋ランの出荷量は県内で2位の実績を持っています。

愛知用水の整備によって臨海部では工業関連の企業が次々と参入し、中部圏でも最大の名古屋南部臨海工業地帯を形成することになります。
鉄鋼工業が盛んになったことから「鉄鋼のまち」とも呼ばれています。

東海市では名古屋鉄道の常滑線や河和線が通っており、名古屋臨海鉄道の南港線も開通しています。
東洋経済新報社が行った「住みよさランキング2016」では愛知県内で3位にランクインしており、全国でも19位という評価がされています。

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知多市の特徴

知多市は知多半島の北西部に位置している市で、知多郡や知多半島に由来して名前がつけられています。人口は8万4000人ほどで、土地面積は45.90平方キロメートルを有しています。
真北にある東海市の他に、真南にある常滑市、知多郡東浦町、阿久比町と隣接しています。
「知多市」は「ちたし」と読みます。

西側はなだらかな平坦地でできていますが、中部から東部にかけては約30メートルから65メートルほどの丘陵地が広がっています。
臨海部では工業地帯が目立つ一方で、住居区域には緑を意識したまちづくりがされているのが特徴です。
信濃川や美濃川、阿久比川、日長川、矢田川などの二級河川が流れています。

知多市に人が住み始めたのは縄文時代ほどですでに確認されており、二股貝塚や森西貝塚、大草北貝塚、大草南貝塚が発見されています。
弥生時代からは農耕稲作が広がり、古墳時代になると製塩が栄えて貢ぎ物としても生産されていたようです。

平安時代の終わりから鎌倉・室町時代にかけて、知多半島では窯業が発達し、知多半島だけでも全体で1000以上もの古窯跡である「知多半島古窯跡群」を残しています。
その知多半島古窯跡群の一部であるのが、知多市にある「七曲古窯址群」で、知多市の指定史跡に認定されています。

昭和時代の初めまでは農業や漁業、繊維業などが主に地域の経済を支えていましたが、1962年に臨海部の埋め立てを行ったことにより工業色が強くなってきました。
現在では臨海部は名古屋南部臨海工業地帯の一手を担っており、火力発電や石油精製、都市ガス供給などのエネルギー関連企業、また造船や食料品、飼料製造などの企業が参入しています。

しかし一方で、佐布里池の梅林や1997年に開園した海水浴場である新舞子マリンパークなどの観光業も盛り上がっており、内陸の方ではいまだにペコロス・フキの栽培なども盛んに行われています。

1970年に市制を執行して「知多市」としてスタートを切ってからも人口は伸び続け、住宅地としても人気を誇っています。
東海市には名古屋鉄道の常滑線と河和線が通り、名古屋臨海鉄道の南港線も開通しています。

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「住むにも、子育てにも、ちょうどいい」知多市の特徴

まとめ

尾張地方南エリアに位置する豊明市、大府市、東海市、知多市は、それぞれ知多半島に位置するかどうかでも産業の発展に大きな違いがあることがわかります。
それぞれの地域がその土地の歴史的背景や伝統を利用して、現代に合わせて発展してきた経緯がわかりますね。

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