肥沃な土地に歴史深い地域!尾張地方北エリアの特徴【犬山市・江南市・一宮市・岩倉市・小牧市・北名古屋市・春日井市】

犬山市の特徴

犬山市(いぬやまし)は愛知県の北西部にある市です。人口は7万4000人前後、74.9平方キロメートルの土地面積を有しています。

犬山市の西側は平坦な土地であり、東側には八曽山などの山地が広がっています。
また岐阜県と愛知県の県境になっている木曽川は、犬山市の北端を流れています。また犬山市は木曽川が濃尾平野に流れ出る場所にあるので「犬川扇状地」を形成しています。

犬山市にはこのような地理的特徴もあって歴史的に交通や物流などが栄え、また政治でも中心的な役割を果たしてきました。
戦国時代には織田氏の管轄下となり合戦の舞台ともなりました。

また江戸時代に入ると、国宝に指定されている犬山城を中心として城下町が形成されるようになります。
この頃から城下で現在では毎年4月に開催されている「犬山祭」の伝統が始まりました。犬山祭は国の重要無形民俗文化財にも指定されており、現在でも犬山祭保存会によって守られています。
犬山市の城下町にはいまだに風情ある町並みが残っており、犬山市は「尾張の小京都」として呼ばれているほど歴史のある地域です。

犬山市ではみんなで楽しめるアウトドア・レジャー施設も豊富にあります。
例えば、日本八景の一つを下ることができる「木曽川ラフティング」やワカサギ釣り、犬山温泉などが挙げられます。

また教育面に関しては、少人数学級やチームティーチングの導入、独自の副教材作成など、学力を向上させるための施策を市費負担で行なっているほど力を入れています。

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江南市の特徴

江南市(こうなんし)は愛知県の北部に位置している市です。人口は9万8000人前後、30.20平方キロメートルの土地面積を有しています。

岐阜県と愛知県の県境を成す木曽川の南に位置しており、他にも五条川や日光川、青木川が流れています。
木曽川の堆積物によって木曽川左岸扇状地を形成しており、全体的に平坦ながらも肥沃な土地が特徴です。
また自然に恵まれた環境でありながら気候や風土も温暖なので、自然環境でも住みやすい地域と言えます。

名古屋鉄道の犬山線が通っており、名古屋市からは公共交通機関で約20分のところに位置しています。
郊外としての役割も強く、名古屋への通勤や通学のために住んでいる方も増えているようです。

歴史面で見ると、江南市では二子山古墳や富士塚古墳が作られていたこともあり、先土器時代から古墳時代にかけてすでに人が住んでいたことが分かります。
また戦国時代に入ると、織田信長の側室として知られる「生駒吉乃(吉乃の方)」の本拠となります。

時代の流れとともに、市内の経済も変容を遂げます。
17世紀頃にはお囲い堤が築かれることによって洪水の心配がなくなりました。そのため木曽川による肥沃な恵みを生かして、新田や宮田用水などが開発されて農業が発展します。

明治時代には養蚕が発達し、絹織物産業が盛んとなりました。絹織物産業は化学繊維による織物にも発展し、産地としてさらに有名になります。
現在でもカーテン生地の生産量としては日本一の実績を持っています。

江南市の施工例(東新住建)

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一宮市の特徴

一宮市(いちのみやし)は愛知県の北西部に位置している市です。人口は38万人前後、113.82平方キロメートルもの土地面積を保有しています。

「一の宮」というのは、平安時代に国司が国の神社を参拝する時に最初に訪れる神社のことを指します。尾張の国ではその一の宮が2600年以上もの歴史を持つと言われている一宮市の「真清田神社」であったことから、「一宮市」と名付けられました。
他の地域の一宮と区別する際には「尾張一宮」とも呼ばれることがあります。

濃尾平野の中央に位置しており、木曽川の清流によって恵み豊かな風土であるのが地理的特徴です。
JRと名古屋鉄道の双方が一宮市の中心部を通っており、名古屋市には10分〜15分ほどで行くことができます。
また岐阜市にも隣接しているため、岐阜市にも同じくらいの時間で行くことが可能です。

一宮市は繊維産業が栄えており、平安時代から美しい絹織物を表す「錦綾」を生産していました。
江戸時代には一宮で生産された結城縞や寛大寺縞などの縞木綿や絹織物が「三八市」で売買されていたようです。
明治以降には織物生産が組織化されて工業として発展を遂げます。洋服地などを中心とした織物で毛織産業が発達し、紡績から縫製に至るまで一貫した総合繊維産業を担う都市として発展します。

尾張一宮駅付近には昔ながらの商店街やデパートが立ち並んでおり、商業地域を形成しています。また郊外にはテラスウォーク一宮やイオンモール木曽川などの大型ショッピングモールも建設されています。

一宮市施工例

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岩倉市の特徴

岩倉市(いわくらし)は愛知県の北西部に位置しています。人口は4万8000人前後で、10.47平方キロメートルの土地面積を有しています。
愛知県内では一番土地面積が小さい市で、全国規模でも10番目に土地面積が小さいと言われています。

地理的には濃尾平野位置しており、標高は8〜12メートルほどです。犬山扇状地の扇端にも当たります。
市を横断するように五条川が南北に通っています。五条川の両岸には約1400本もの桜並木があり、春には多くの方がお花見に訪れます。
また五条川と合流する巾下川、巾下川と合流する矢戸川も流れています。

犬山市、江南市そして名古屋市をつなぐ名古屋鉄道の犬山線が通っており、名古屋市へは10分ほどのアクセスで行くことができます。
犬山市と名古屋市の中心に位置しているだけではなく、市の最北部を通っている名神高速道路では、東にある小牧ICと西にある一宮ICの中間にも位置しています。

土佐藩主となった山内一豊のゆかりの地という特徴があります。
また明治と大正時代には養蚕や養鶏産業が発達し、地域の経済を支えたと言います。現在でも日本一のゆで卵生産量を誇っています。

また愛知県の重要市の中心に位置するという地理的特徴を生かして、岩倉市内には数多くの流通業関連の事務所や企業があります。
名古屋市に近いことからも、通勤や通学のために住んでいる方がいるようです。

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小牧市の特徴

小牧市(こまきし)は愛知県の北西部に位置している市です。人口は15万人前後、62.81平方キロメートルの土地面積を有します。

濃尾平野の中心付近に位置しています。
小牧市の中部と西部では平坦な地が広がっていることが多く、網の目を張るように川や用水路が流れているのが特徴です。
東部と北部ではなだらかな小山や丘が続く丘陵地になっています。

小牧市の自然の中でも特に歴史的意義が強いのは小牧山です。小牧山は標高86メートルの小さな山ですが、織田信長の居城「小牧山城」がありました。豊臣秀吉とは小牧山で攻防戦を展開しており、1927年に国の史跡として指定されています。
現在では山全体が公園として管理されており、春には桜の名所としても親しまれています。

小牧市はかつて桃の生産や米作りが盛んな地域で、「小牧菜どころ米どころ」と言われていました。
しかし1959年に起こった伊勢湾台風によって壊滅的な打撃を受け、農業に依存する地域経済からの脱却として大規模な工場誘致と大型団地建設を図ってきました。

また高度経済成長期には、名古屋空港の建設や、名神高速道路と東名高速道路、中央自動車道の3大ハイウェイの結節点が繋がれることにより、陸上交通要衝都市としての役割も果たしてきました。

小牧市施行例(東新住建)
街かどモデルハウス小牧

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北名古屋市の特徴

北名古屋市(きたなごやし)は愛知県の北西部に位置している市です。
人口は8万5000人前後で、18.37平方キロメートルの土地面積を有しています。

北名古屋市はもともと2006年に師勝村(しかつちょう)と西春村(にしはるむら)が合併したことによって誕生しました。
北名古屋市という名称は公募によって決められました。名古屋は市でありながら知名度が高く、名古屋との関連や位置関係をはっきりさせた方が世界にアピールしやすいという点が決め手になったようです。

濃尾平野のほぼ中心に位置しており、海抜5メートル前後の平坦な土地であるのが特徴です。合瀬川や中江川、五条川、大山川、鴨田川、水場川、新川などの河川が通っています。
平坦な土地である上に、木曽川や庄内川などの恵みによって豊かで肥沃な土壌が利用できるので、昔から農業が発展してきた土地でもあります。

1906年、明治時代に春日井郡から北名古屋市の前身である師勝村および西春村が分村され誕生しました。
1955年頃には名古屋市の発達とともに師勝村および西春村でも人口が増加し、1961年に師勝町、1963年には西春町になります。

しかし名古屋市の発展はとどまることを知らず、それとともに地理的に名古屋市の近くにある両町はベッドタウンとして、また都市近郊の農業地として発展します。
このような背景のもと、2006年には師勝町と西春町が合併して、北名古屋市として新たな幕開けをしました。

経済面では農業だけではなく、名古屋市に近い地理的な特性や交通網を生かして、工場や物流施設なども豊富に建設されています。

ギャラリー北名古屋へ是非お越し下さい(東新住建)
北名古屋市施工例 (東新住建)

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春日井市の特徴

春日井市(かすがいし)は愛知県の北西部、名古屋市の北に隣接する市です。人口は30万7000人前後、92.78平方キロメートルの土地面積を有します。

庄内川に沿って発達しているのが特徴で、古代昔の先史時代から人が住んでいたことを示す出土品が多数発見されています。
二子山古墳や高御堂古墳などの古墳も発見されており、日本武尊にまつわる地名も多く残されている歴史深い地域です。

近世に入ってからは治水事業が行われ、新田開発が積極的に進められました。
太平洋戦争の頃には軍需産業を中心に地域経済を活性化していましたが、終戦後には農業を再び奨励し、工場の誘致などを行って地域経済を保つ努力をしています。

1955年頃からは高蔵寺ニュータウンの建設が始まり、春日井市に住む人の数も増えて住宅地として知名度も高くなりました。
1974年には人口が20万人を突破して中堅都市としての性格を強めながら発展を続け、現在では人口30万人を突破しています。

ギャラリー春日井

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まとめ

尾張地方の北エリアでは、木曽川や庄内川などの豊かな水源が運ぶ恵みによる肥沃な土地が特徴的でした。また戦国・室町時代の武将による地域の発展や、名古屋市との関係性も興味深い点です。

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