コロナ禍・自粛期間中の過ごし方
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コロナ禍で大会中止が相次ぎましたね。 |
東京オリンピックが延期されただけでなく、2020年世界選手権、2021年アジア選手権も中止となりました。五輪出場に向けていくつかの海外試合に出るつもりだったので、正直「どうしよう」と思いましたが、こればかりは仕方がありません。
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コロナ禍はどんな影響を及ぼしましたか? |
2020年4月に発令された緊急事態宣言により、私たちも練習ができなくなりました。こんなに練習ができない期間はレスリング人生で初めてのことです。走ったり、家の中で体幹自主トレをしたり、公園でトレーニングしたり……できることをやるしかありませんでした。
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自粛中はYouTubeもひんぱんに更新していましたね。 |
応援して下さる方々も、外出できない状況にある人が多いだろうと思ったので、何か自分にできることがあれば共有したいと考えて、おうちトレーニングの方法などをアップしました。
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最近おすすめのアニメは? |
「ホリミヤ」は一気に見ました。ゆるくて平和で面白いですよ。
リオ五輪優勝、そして社会人へ
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2016年に初出場の五輪で優勝。心境の変化はありましたか? |
リオで金メダルをとり、初めて世界チャンピオンになりました。いろんな方々に「おめでとう」と言ってもらえて、世界が広くなったような感じがしました。応援してくれる人が増えましたが、重圧というのはそんなに感じませんでした。
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取材にも慣れてきましたか? |
ぜんっぜんダメです(笑)。質問された内容と自分の答えがズレてるな~、ごめんなさい!ごめんなさい!と思いながらしゃべることも多くて、いまもヒヤヒヤしながら話しています。
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リオ五輪の頃は学生でしたね。社会人との違いは? |
リオ五輪が2016年、翌2017年に東新住建へ入社して社会人になり、レスリングが仕事になりました。自分自身は学生時代と大きく変わるわけではありませんが、やっぱり以前よりも強く勝ちにこだわるようになりました。
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東新住建のイメージは? |
いつもどんなときも応援してくださって、心温かい優しい人たちがいっぱいだと思います。
つらかった手術とリハビリ期間
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2018年に左肩を手術した際の心境を教えてください。 |
完璧な状態に戻れると信じて手術しましたが、そうじゃなかったなぁ……と思い知らされたりもしました。指が動かないし、感覚もない。腕にも力が入らない。術後はそんな状態が続いたので、かなり落ち込みましたし、焦りました。
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どんな気持ちでリハビリを続けていましたか? |
やはり「東京オリンピックでまた金メダルを獲りたい」です。そう思ったからこそ手術を決意しましたし、「五輪のためなら」とリハビリを続けてきました。
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どんなリハビリをしていましたか? |
最初は肘などを曲げる動作ができなかったので、力を入れる練習や曲げる練習から始めました。その後に筋力をつけていく感じです。長くかかりましたが、すっかり治りました。いまでは手術して良かったと思います。
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2019年の世界選手権はどんな大会でしたか? |
世界選手権で3位以内に入れなかったのは初めてでした。もちろん簡単なことだとは思っていませんが、「オリンピックって簡単には出られないんだなぁ」と、つくづく思いました。
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その後先輩たちが続々と引退。どんな影響がありましたか? |
高校時代から一緒に頑張ってきたメンバーがいなくなった影響は大きかったです。ずっと仲良しで練習の雰囲気も良かったですから、一緒に頑張れる人がいなくなった寂しさはありました。ただ嘆いてばかりもいられないので、慣れましたけど(笑)。それまでは先輩に頼りきりだったので、そういう意味では成長できたかもしれません。
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2019年天皇杯の直前、深刻なトラブルに見舞われましたね。 |
左ひざに血が溜まり、痛みで膝をつくこともできなくて、すごく焦りました。オリンピック代表選考の試合だし、本番まで1カ月しかないし、どうしようと……だけどやれることをやるしかないので、血を抜いて、圧迫して、痛み止めを飲んで出場しました。でも痛いとどうしてもかばってしまうので状態は良いとはいえない感じでしたね。
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その後どのように練習に復帰しましたか? |
まだ膝の痛みもあったので、「レスリングは一回休もう、レスリングのことを考えずに遊ぼう」と、年末年始は友人たちと会って気を紛らわせました。けれどやっぱり忘れるわけにもいかないので、年明けの練習からは切り替えようと決めていました。
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2020年のプレーオフ前夜はリラックスモードでしたね。 |
一人だと考え込んでしまうので、(登坂)絵莉さんや(伊藤)彩香さん、後輩やマネージャーさんとみんなで一緒に過ごすことに。おかげでリラックスできました。
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どんな気持ちでプレーオフに挑みましたか? |
もう後がない。自分の中では「生きるか死ぬか」「負けたらレスリング人生終わりだ」くらいの気持ちでした。絵莉さんの分まで勝とうという思いもありましたし、応援してくれている人たちのためにも「やるしかない!」という感じでした。
苦境を支えてくれた人たち
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土性さんを支えてくれた人は? |
お母さん、会社の人たち、(登坂)絵莉さんや先輩たち、(川井)梨紗子、後輩、友達、SNSで応援してくれる人……支えてくれた人が本当にたくさんいます。
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絵莉さんはどんな存在ですか? |
もし絵莉さんがいなかったら、私は変われていなかったと思います。
2013年の世界選手権では自分は3位だったけれど、ずっと一人で居残り練習していた絵莉さんは優勝。「ここまで練習しないと優勝できないんだ!」と痛感して、絵莉さんに「一緒に居残り練習させてください」とお願いしました。
その頃から仲良くなって、「一緒に世界チャンピオンになる」ことを目標にしてきました。2014年、2015年の世界選手権は私が2位、3位でしたから、この夢が叶ったのがリオ五輪でした。絵莉さんはプライベートでも仲良くしてくれますし、自分がダメなときには叱ってくれる、大切な存在です。
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絵莉さんに五輪への意気込みを伝えるとしたら? |
絵莉さんの分まで金メダルを獲れるように頑張ります。そう伝えたいです。
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お母さん、お父さんに対する思いは? |
お父さんがレスリングをやっていなかったら絶対にこの世界にはいないし、お母さんにはいつもすごく助けてもらっていて、感謝しかないです。
東京オリンピックに向けて
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手術後、思うようにタックルに入れなくなったと話していましたが、具体的に教えてもらえますか? |
2018年4月に手術するまでは、タックルに入って肩を脱臼するということが何度かありました。タックルで痛めて、休んで、またタックル入って、痛めて……手術が終わり「もう動かしても問題ない」と言われましたが、やはり怖さがあります。肩は大丈夫でも気持ちが大丈夫ではなくて、前に出ていけない感じでした。事前に「こういう試合をしよう」と頭で組み立てたりするんですが、攻めようと思っていても「切られたらどうしよう」「失敗したらどうしよう」といったネガティブな思いが浮かんでしまう状態でした。
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以前のようなタックルを取り戻したいですか? |
その気持ちはもちろんありますが、過去にとらわれすぎるのも良くないかなと、いまは思います。現在の自分にできるレスリングで向かっていく方がいいのかなと。
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新スタイルを模索し始めたきっかけは? |
2020年11月の出稽古で、コーチから「必要以上に戻すことにこだわらなくでもいいんじゃない? いまできるスタイルで良いのでは」と言われて、目からウロコでした。それまでは「早く取り戻さなきゃ」と焦るばかりでしたから。
それからは昔のようにガンガン突っ込むスタイルではなく、カウンターを狙ったり、多彩な方法で点を取りに行ったり、新しいアプローチを探すようになりました。
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東京オリンピックではどんな試合をしたいですか? |
タックルで攻めたいという気持ちは、もちろんあります。ただし、攻めをベースにしながらも、これまでやってきた各種の技を使って勝ちにいければなと思います。
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五輪が終わったらやりたいことは? |
歯の矯正ですね(笑)。あとは夏フェスにいきたいです。レスリングシューズを持たなくていい普通の旅行にも行ってみたいですね。
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沙羅さんにとって東京オリンピックとは? |
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最後に意気込みをお願いします。 |
リオ以降は手術もして挫折もあって、予想外のコロナ禍まで起きて……その中で勝ち獲った出場切符なので、応援してくれる人のためにも、二連覇できるように頑張ります!